【デッサンの基礎の基礎】

 

細かいことまでとても説明しきる自信がありません。

また、そんな腕もありません、余裕もありません、おこがましくてできません(笑)

でも今回、ふと考えてみました。

 

デッサンってなんぞや?

こんな問いをすれば、名だたる偉大な先生方からもはや哲学に突っ込んだ回答が返ってきそうですけれども、

でも私がまず考えたのが、ものを見る力とその放出だということです。

例えばドラえもんを見たとします。

誰でも知っています。 頭ン中に残っています。

けれどそれをいざ描こうとすると、ん? と戸惑いませんか?

ドラえもんの胴体と頭のバランスはどれくらいだったか?

顔のパーツの比率ってどれくらいだったか?

どんな形をしていたかな? そもそも何色だったかな?

意外に人間の記憶はあさはかなものなのです。

一般的にいうデッサンとは、対象の形状を的確に描写することを言います。

ドラえもんの胴体と頭の比が1:1.25であるだとか(スイマセン、これはいい加減)

頭の青い所と白い所の比率

丸み具合や

どんな色をしているのかさえ克明に。

慣れないうちは何度も何度も測ります。もはや測量です。

でもそうして訓練していくうちに、ものの形状を把握することを覚えるのです。

そうして蓄積した経験は、記憶として頭に残ります。

そうした記憶が、ものを描く脳内の資料になるのです。

そしてその資料を検索抽出する力もまた、デッサン力によるわけで。

デッサンとはものを覚えて噛み砕いて出す。 そんなものなのですw

何も見ずとも完璧な人体のプロポーションを描ける達人などは、

きっとそれをあまりに繰り返して、

こなれた人ばかりなんでしょうね。

 

 

【テクニック】

 

デッサンが気難しい、仰々しいなど疎遠に思われる所以はやたら技術のことばかり語られるからだと、

思ってはいるんですが、

でもやっぱり技術なしにはデッサンは完成しないのです。

ここでいう技術とは、画材の制約への解決策のことだとお考えください。

たとえばハッチング。

線しか書けない鉛筆への、苦肉の解決策でした。

鉛筆がもっと自由に、それこそ望むような絵が描ける画材であったらきっと技術なんていらなかったでしょう。

しかし人類の智恵ではまだまだそんなものを発明するには至らなくて

やっぱり線しか描けない(笑)

紙を埋めようとしたら、線で埋めるしかない。

それがハッチングというテクニック。

デッサンが”ものをしかるべきものに見せようとすること”であるならば

デッサンの技術は”しかるべきものに見せるために必要なもの” であるといえましょう。

実はデッサンを勉強するなんていいつつ、

内実はテクニックを身につけることに大部分の心身が割かれているのです。

 

構図を取る、などとよく言われるのですが、

普通受験などで必要とされるデッサンは数種のモチーフを組み合わせて描きます。

その配置は自由(なことが多い)、

そしてそれをどれだけ正確に、3次元の世界を2次元の紙に写し取るかも、テクニックのひとつになるのです。

そもそも3次元の世界を平面化させようなんて

不可能な話なんですけれども、

しかし幸いにも人間の目には錯覚というものがあって、

そういった錯覚を踏まえて描いてみるとまるで絵の中に空間があるように見える。

たとえば、近くのものは大きく、遠くのものは小さく見える。

この人間の目の性質をテクニックとして応用したのが遠近法です。

1点パース、2点パース、3点パースがあって、

建築の図面のような作業をします。

もはや数学です。

(遠近法の話はまたおいおい)

けれどそんなテクニックを身につけないと、やはり絵はしかるべきものには見せられないのです。

 

取りとめもないことばかり話しているのでここで具体的に。

テキトーな画像ですみません^^;;

例えば上図。

ここで問題にしたいのが、同じ床に乗っているように見えるかどうかです。

デッサンを始めたての人には、この床の概念がなかなか染み付かずに、

凄まじくてんでバラバラな絵を描いてしまうものです(笑)

しかし3次元のものを描くということは、

モチーフの周りには必ず空間があり、

設置面、つまり床があるということです。

その空間を描ききることも、デッサンの中で非常に重要なテクニックになってくるのです。

やがて慣れてくると、”床のない絵”に

「ああ、ヘンだな」と思うことがあるはずです。

その「ヘン」は明白な上達の証拠です。

空間の概念を認識でした証拠ですね。

さて、上図では左側が一応同じ床に乗っているように見えますが(再度テキトーでスミマセヌ)

右側は視点がそろっていない典例でしょう。

一生懸命描いているうちに視点がバラバラになり、ひとつの統一された視点が失われます。

普通、ものを見るときの視点はひとつしかありません。

絵に空間を持たせようとすると、視点も統一する必要があります。

けれど右側は、例えばビンは真横から見たようで、

皿は本来よりも上から覗き込んで描いたもののように見えます。

こうした視点のズレが、”床のない絵”にさせてしまうのです。

 

言葉だけで話すと小難しいのですが、

しかし実際に空間を認識して描き出す力は、漫画などにも応用できるわけで。

その実、デッサン力は本当に色んな姿に応用できるのです。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチが、人間を円と正方形に収めたときから

デッサンはまるで数学のような学問にまで昇華されました。

理論的に絵を描くことを諾としないフィーリング重視の人々はデッサンを嫌います。

絵なんて本当は自由で、

何の束縛もないのはずなんですが、

でもしかるべきものに見せよう、見てもらおうとするにはやっぱりデッサン力は必要なわけで。

要は自分自身。

どんな絵を描きたいのか、

どうすればそれが描けるのか、

それを考えるのが大事だということですね^^;

 

 

 

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